半田晴久名誉会長のごあいさつ

半田晴久

特定非営利活動法人
日本ブラインドゴルフ振興協会名誉会長
半田晴久

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ブラインドゴルフと私の出会い

 福祉という言葉を聞いて、何を連想するでしょうか。

 以前より、社会福祉に強い関心を抱いていた私は、本当の福祉とは一体どうあるべきなのか、自分に出来る福祉とは何なのか。すなわち、新しい時代のために、本当に求められている福祉とは一体何なのだろう、という問いを持ち続けてきました。

 そうしたところ、日本社会福祉学会の会長を四期務めた、(当時)日本女子大教授の一番ヶ瀬康子先生から、 「民間でやる福祉は、規模も人数も財政も限度があるから、政府がやらないようなユニークなものがよい。小規模でもいいから、今まで誰もやらなかったようなものをやる方がいい。それは、社会福祉文化の向上につながるものだから、いいのよ。それが成功した実例があると、はじめて政府も乗り出すのよ」

 というアドバイスを受けたのです。また、「福祉の原点は、その人の自己実現のお手伝いである」という言葉に、深い感銘を受けました。

 そんな時、仕事でオーストラリアへ行った時、友人の紹介でロン・アンダーソンと出会ったのです。

ロン・アンダーソンと出会った感動

 彼は視覚障害者であり、明暗がうっすら区別できる程度の視力(5%以下)しかないにもかかわらず、誰がみても視覚障害者であるということが解らない。明るく元気に、いつも人の目を見て話し、ごく自然に机や椅子を避けて歩くのです。聞けば、ゴルフをやり、ウインドサーフィンをやり、ロッククライミングをやり、自転車レースに出場し、水泳選手権にも出場するというではありませんか。一瞬、わが耳を疑いましたが、彼が健常者と一緒にあらゆるスポーツの可能性に挑戦し、かつそれをボランティアの人々と楽しんでいるビデオを見せて頂き、感動のあまり、涙がとめどなく流れ出たことを覚えています。

「これだ!」と、私は直感しました。

 これ以上楽しく、明るく、幸せそうに自己実現をしている例は見たことがありません。日本でも身障者がスポーツをやり、芸術をやり、新しい試みをする人はいますが、国全体や全ての人々が明るく自然にそれを受け入れているわけではありません。これがキリスト教圏のいいところであり、スポーツ王国オーストラリアの環境と国民性が与える素晴らしいところですが、日本にはこうした福祉文化の土壌が育っていないのだ、と感じたのです。

 この感動の出会いが、現在の日本ブラインドゴルフ振興協会の発祥となりました。

 翌日、私はロン・アンダーソンと一緒にゴルフをすることになりました。当時ゴルフを始めたばかりだった私は、ハーフは78ぐらいで回りましたが、ロン・アンダーソンは63ぐらいで回りました。ボランティアのキャディが距離と芝目とラインを教え、さらにフラッグをカタカタ鳴らす音をたよりに、彼は果敢にパットを打ちます。5メートルのパットを見事に決めた時は、やんやの拍手が鳴りやまなかったのを覚えています。

 彼が「ミスターハンダは、目が見えないのではないか」とジョークを言うと、私は「いや、耳が遠いので、フラッグの音が聞こえないのだ」と応酬し、じつに楽しい、明るい、幸せなひとときでした。

 視覚障害者は、目は見えなくても心の目は開いています。ゴルフコースの鳥のさえずりや草の匂い、サクサクと踏む芝生の感触やさわやかな空気の味。どれをとっても健常者以上に敏感に反応し、心の目で楽しんで味わい、幸せを感じているのです。ナイスショットが出たら躍り上がって喜び、チョロや大スライスが出たら悄然とする。全く、健常者の私達と同じなのです。

 この喜びと面白さは、ゴルフをやったものでなければ解らないものです。そして、この喜びと幸せを知っている日本の視覚障害者は、いったい何人いるのだろうか。たぶん皆無に違いない…。なぜなら、日本では見たことも聞いたこともないからです。

 そして、「この喜びを日本の視覚障害者にも伝えよう。日本へ帰ったらさっそくブラインドゴルフクラブを作って、一人でも多くの視覚障害者に知ってもらい、楽しんでもらおう」と決意しました。

日本の新しい福祉文化の創造をめざして

半田晴久名誉会長とジェラルド・T・ケリー氏
半田晴久名誉会長とジェラルド・T・ケリー氏

 ゴルフは、健常者であっても難しいスポーツの一つと言われるものです。しかも高級感があるスポーツだけに、これをある程度やりこなし、楽しめるようになったら、今までになかった視覚障害者の自己実現のモチベーションとなるに違いない。最も困難なハンディキャップの一つである、視覚障害という運命を背負っていても、ロン・アンダーソンのような人達と交流を続けていると、やがて彼のように底抜けに明るく、幸せで、あらゆる可能性に挑戦する視覚障害者が、日本にもどんどん出現するに違いない。

 また、こうも思いました。

 地味な草の根運動であってもいい。少しずつ賛同者が現れ、そのすばらしさを知ってもらい、波及していけば、やがて日本の新しい福祉文化創造のエネルギーの一つになるだろう。

 特に、“pursuit of high quality life and happiness for the blind.(視覚障害者のための質の高い生活と幸せの追究)”が、21世紀に向かって必要な福祉文化創造へのテーマに違いない。

 この思いは、ホールを回るごとに確信に満ちたものへと変わっていきました。

 その後、何度もパースにある西オーストラリア州立盲人協会を訪れ、そのスポーツセクションのリーダーを務めるロン・アンダーソンや、協会の人々との交流を深めるにつれ、私の確信はますます不動のものとなっていったのです。

 この直後、私はこの確信に基づき、日本初の「ブラインドゴルフ倶楽部」(当協会の前身)を創設しました。

 1988年のことです。

JBGAの設立と国際大会の開催

桂小金治さん、テリー・ゲール氏と、半田晴久名誉会長
桂小金治さん、テリー・ゲール氏と、半田晴久名誉会長

 さらに、オーストラリアンオープンを開催するべく、西オーストラリア盲人協会に何度か提案し、西オーストラリア州都のパースで、日、英、米、豪の4国合同のインターナショナル・トーナメントを実現させることができました。この大会は大成功を博し、1988年以来、毎年連続で開催されて、現在ではカナダチーム、ニュージーランドチームも加わっています。

 ところで、1997年にパースで開催された「世界ブラインドゴルフ協会」発会式の場で、光栄なことに、私は同協会の総裁に推薦して頂きました。ささやかな一灯をと思い、草の根運動のつもりで黙々とやり続けて来たことが、まさかこんな形で評価されるとは、思ってもみなかったことです。

 ブラインドゴルフは、視覚障害者と健常者が大自然の中で、同じ立場で仲良く楽しみ、喜び、かつ対等に競えるスポーツです。だからこそ、視覚障害者のメンタル面でのリハビリテーションにも最適なのでしょう。

 たとえ、肉体はハンディを負っていても、人間として最も大切な気力、意欲、勇気、明るさ、積極性、創造性という、内面の健やかさまで失ってはなりません。それでは、魂までハンディを負ってしまったことになります。

 魂を蘇らせる、ブラインドゴルフのインターナショナルな推進。これが、私にできる身障者の自己実現のお手伝いであり、私なりの福祉文化創造の具体的なステップなのでした。

 最後になりましたが、今日まで日本のブラインドゴルフを支えて下さった、故松井新二郎先生や一番ヶ瀬康子先生、また、全てのブラインドゴルファーの仲間達や、ボランティアの仲間達、そしてお世話になった全ての方達に、深甚なるお礼と感謝を捧げます。